誤解が歯車を狂わせる

雨がしとしと降る季節
雨音を聴きながら、読書する
風流なことをしているなぁと
しんみりしているいずみんです。

6月は、どうしても季節的にか
しんみりしてしまいますね。
いい意味でも悪い意味でも
長く考え込んでしまったり、動くのがだるかったり
文明の力、エアコンに頼ってもいいけど
頼ったら朝がだるかったり笑

そんな季節だからこそ、
よーく考える時間だったり、
本を読んで知識を増やす時間だったり、
大切なものを再認識する時間だったり、
慌ただしい毎日が、少しゆっくり過ごせることに幸せを感じることもしばしば。

最近は、SNSや、メール、LINEなどデジタルなコミュケーションツールが発達したおかげか、離れていても近くに感じられるという感覚があります。
しかしながら、その一方で顔を見て話している訳では無いので文章の解釈を勘違いしてしまうと、大変なことにもなりかねません。

私も相手のことを理解しようとしてみるものの、やはり言葉でのコミュケーションを、顔を見てしていても、本音や相手が言いたいことを、理解できないことが多々あります。

話し合いの中で「察する」や「推測する」ことがあると思いますが、この能力もベクトルが合っていれば、便利な能力なのですが、ベクトルが違うと困ったことになります。
話はこじれたり、平行線を辿ったり、本当は話し合って解決したいはずなのに、どんどん違う方向へ行ってしまう。
そんなことありませんか?

私は、性格上裏を読むのが苦手なので「本音と建前」の「建前」の部分が読み取れません。
なので、相手を傷つけまいと「建前」で話してることを「本音」と捉えてしまうので、「本音」を聞いた時、「建前」で傷つく。ということが起こってしまいます。

もちろん「本音」を言われて傷つくこともあるでしょう。
しかしながら、私の場合「建前」を言われる方が「本音」を言われるより傷つくようなのです。
「うそ」をつかれているような感覚になってしまうのですね。

わざわざ後から「本音」を言うなら最初からそう言ってよ。となってしまうようです。
もちろん、私はその性格で多くの人を傷つけたことが、あるでしょう。
一方で、「本音」を話してくれてよかった。と言ってくれる方が一定数いることも確かなのです。

私は、生きていく中で「建前」も必要だと思っていました。
だけど、私自身は「本音」を始めから話すことに決めて、変に偽ったり、飾ったりすることをやめることにしました。

離れていく人がいた。
だけど、そのままでいいよ。と言ってくれる人がいた。
数は関係なかったのだと、実感した出来事でした。

私には、私を信頼する自分と、私を信頼してくれる人がいる。
それで充分でした。

だから、話し合いの時
「誤解が歯車を狂わさない」様に本音で言葉を伝えたいと思っています。
「建前」は、誤解を生むことがあります。
また、自分を偽ることになり得ることを知った上で使わないといけないのかな。ともおもいます。

なんだか、しめっぽいブログになってしまいましたね。
ではまた次のブログで(◍´꒳`)b

今日もありがとうございます。いずみんでした。

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